オープンの想い

1972年。第二代目の社長に就任したばかりの谷水雄三は、休暇を利用して伊丹空港から飛行機で九州に向かいました。その飛行機の中で、旧知の都市銀行幹部と偶然、顔を合わせました。「谷水さん、どちらへ?」から始まった何気ない会話が、西日本カントリークラブを誕生させるきっかけになったのですから、不思議な縁を感じざるを得ません。その銀行幹部と互いの近況や身のまわりの出来事を話すうちに、いつしか「折角、九州に行くのなら、私が案内役を務めますから、ゴルフ場開発を考えてみませんか?」という展開になりました。谷水はいくつかの候補地を見て回ったのですが、なかなか思うような土地と出会うことが出来ません。谷水が諦めかけて「もう、この辺で結構です」と言いかけたとき「あと、一ヶ所だけ見てほしい」ということから案内されたのが直方市中泉、現在の西日本カントリークラブの土地でした。
当地でのゴルフ場開発を決心した谷水は、設計をどうするか、思い悩みました。当時、世界のゴルフ界を席巻していたのはJ・ニクラウス、A・パーマー、そして南アフリカの黒豹と呼ばれるゲーリー・プレーヤーです。谷水は、3人の中で最も親日家として知られるゲーリー・プレーヤーを設計者として選びました。プレーヤーは現役選手として世界中を駆け回る、大変忙しい身ではありましたが、非常に快くこの仕事を引き受けてくれました。万事が順調に進捗しているかに見えましたが、いよいよ工事着工という段になり、第一次オイルショックが始まりました。
オイルショックは資源を輸入に頼る我国に大きな影響を残しました。資材の高騰は勿論のこと、工事資材や芝生の調達にまで苦心するありさまでした。それでも関係者の懸命な努力により1975年、無事に開場の日を迎えました。はるかに福智連山を見渡す光景や、当時はまだ珍しかったコンクリート打ち放しのクラブハウスが来場者の目を引きました。そして、九州アマチュア選手権(1990年)、九州オープン選手権(1994年)を開催するなど、北部九州に確実な足跡を残しつつ、その存在感を高め続けています。

コース設計:ゲーリー・プレーヤー

1935年11月1日生まれ、南アフリカ・ヨハネスブルグ出身のプロゴルファー。男子ゴルフ史上3人の「キャリア・グランドスラム」達成者となった。アフリカから登場した最初の本格的なゴルファーとして活躍してきたゴルフ界を代表する偉人の1人

1959年 全英オープン 1961年 マスターズトーナメント
1962年 全米プロゴルフ選手権 1965年 全米オープン
1968年 全英オープン 1972年 全米プロゴルフ選手権
1974年 マスターズトーナメント、全英オープン 1978年 マスターズトーナメント

世界各国で160勝以上の優勝回数を誇るゲーリー・プレーヤーの設計による文字通りチャンピオンコースが筑豊の地に完成した。

コース概要
開場 1975年4月
コース概要 18H 6,845Y Par72
コース面積 100万平米(約30万坪)
コース設計 ゲーリー・プレーヤー
コース施工 ㈱奥村組
ハウス設計 増田 友也
ハウス施工 岡崎工業㈱
主な公式競技
1990年 九州アマチュア選手権競技
1994年 九州オープン選手権大会
2011年
~2013年
キミエコーポレーションカップ