皇子山カントリークラブの歴史

【オープンの想い】

紺碧の琵琶湖を眼下に、霊峰比叡山を背に仰ぐこの風光明媚の地に、当クラブが誕生しました。最初にこの地のお話しを頂いたのは、昭和33年の初夏のことです。創業者と一緒に当地を訪れた時、丁度現在の2番ホール辺りに、水密桃がたわわに実っていたのを憶えています。元を正せば、この地は開墾地であります。戦後間もない昭和21年、「なんでも良い。兎に角、口に入るものを供給しよう」と、この未開の原野に22世帯の開拓団が入植しました。彼らは原野を相手に、鶴嘴(つるはし)と鍬で死闘を繰り返しました。まさに血と汗の戦場だったのです。その時の守護神が、今14番ティグランド横に鎮座されている地蔵さんと氏神さんであります。

縁あって、私たちがこの地を視察した昭和33年頃には、経済復興も成り、食糧事情も好転したため、僅かの入植者を除いて殆んどの人たちが離農していました。現地を視察してみて、創業者が一番心を動かされたのは、やはり景観だったようで、「もしゴルフ場が無理なら、ホテルを建てる」とよく申しておりました。それほど景観に惚れたということでしょう。この事業の為に当時設立された会社の名が株式会社皇子山カントリーホテルと称したのも、その辺りの事情と決意を物語っています。

「もしも、無理だったら・・」と創業者がつぶやいたことには、理由があります。それは終戦後の食糧政策として、山林を開拓して、農地に転用することを条件に、無償提供された土地の性質上、用途変更は容易ではなかったからです。加えて、当時はゴルフに対する理解も今日とは雲泥の差があり、特権階級や金持ちの贅沢な遊びと思われていましたので、農地をゴルフ場に転用するという発想自体不謹心と言われました。しからば、観光ホテルの附帯設備としてのコースだったら如何か、というのが創業者の発想だったようです。

私たちは地元の要請を受け、本格的に調査に取り掛かったものの、開拓農地の転用は容易ならざるものがあり、紆余曲折の末、工事に着手したのは昭和35年のことでした。西に京都大文字山、南に園城寺境内が展開する当地は、その規制、地形、面積において建設の難儀を強いられることとなりましたが、幸いにして創設の熱意と関係者の皆さまの協力を得て難産の末、昭和36年6月6日高松宮殿下のご臨場を仰ぎ、めでたくその産声を上げたのであります。

タニミズ企画株式会社
会長 谷水 雄三

コース概要
開場 1961年
コース設計 谷水信夫
コース造成 自社
コース造形 自社
ハウス設計 ㈱園 建築事務所
ハウス建築 ㈱奥村組
主な公式競技
1992年6月 KGUインター選手権 予選
2008年9月  関西女子ミッドアマチュアゴルフ選手権 第2地区予選
2011年6月 関西女子シニアゴルフ選手権 決勝
2011年6月 京都・滋賀オープンゴルフ選手権 予選
2014年8月 KGUインター選手権 予選

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